[ヴァレー空軍基地 4月16日 20時12分]
"Valais Air Base" 019°16'55"N 239°31'24"E 2012hrs. 16 Apr 1995
結局、相棒とは、あれ以来まともに話していない。とてもじゃないが、お互いに話し合う様な気分にはなれなかった。基地の傭兵連中も、同じ反応だ。今までは、どこと無く基地の連中も認めていたところがあったが、それは、相棒がサイファーと呼ばれた人間だと思っていたからだ。それが間違いだとわかってからは、どこか余所余所しい。露骨に嫌な顔をする奴もいる。それでも、相棒の反応は変わらない。いつものようにトレーニングをし、いつものように訓練に出る。そして、いつものようにジョンのアタックをかわす……。
「俺様の愛の前には、どんな障害も関係ない!」
…とのこと。
『サイファー』
その名を持つものは、俺たち傭兵パイロットの間で伝説となっている。わかりやすい例が、レクタ紛争におけるエピソードだ。
当時、ベルカとの独立紛争において、空軍力強化に励んでいたレクタ解放戦線は、海外からのパイロットを雇った。その中に、サイファーのコールサインを持つ一人の傭兵がいた。サイファーは、その持ち前の判断力と、空戦技術を持って、レクタの空を守り続けた。その間、パイロットたちの育成も行い、彼の育てたパイロットは実戦経験によって更に高められ、レクタの航空戦力を担う人材へと育っていった。レクタの空軍は、装備、資材等は決して恵まれていなかったため、それを力量で補っていた。その戦略の一翼を担っていたのが、サイファーと、彼の率いる部隊。彼の率いた部隊は、連戦連勝。ベルカの戦闘機たちを軒並み撃退していった。だが、その勇猛も長くは続かなかった。ベルカ空軍に、ある一人のパイロットが配属されたのだ。
ディトリッヒ・ケラーマン
のちに、『銀色の犬鷲』と呼ばれる、ベルカ空軍のエースだ。彼の率いた、ズィルバー隊はマインツ山地周辺に配備されていた、レクタの航空戦力を次々と撃破していった。制空権が確保できなくなったレクタは、ベルカの地上戦力の進出を許し、ついに、拠点を構えていたコール市陥落を許してしまう。サイファーと、ケラーマンは、幾たびも空で剣を交え、その度にどちらも勝負のつかない終わりを迎えた。コール市上空での最後の戦闘には、ベルカの兵士たちも戦闘を一時中断し、その戦いに見入ったと言う話が残っている。ベルカからの独立を目指すレクタを、報酬が払えるかも分からない状態で受けたサイファーの勇名が、多くの人たちに知られることになったときだ。結局、軍配はケラーマンに上がったが、ケラーマン本人はそれを認めていない。
『彼自身との勝負はまだついていないよ。あの時は、横槍が入ったために戦闘が終了しただけだ』
その後、各地でサイファーの名が聞かれているが、あるとき以来、しばらく彼の姿を戦場で見かけることはなくなった。
ところが、今度はウスティオ空軍に入隊している、と言う噂が流れ、騒動が起こったが、結局ウスティオ空軍からの見解はなし。ただ口伝で、ウスティオにはサイファーがいると言う噂だけが広まった。
だから、この基地にサイファーがいると聞いて、ウスティオに参加した傭兵も多い。ところが、その肝心のサイファーは別人。これでは傭兵連中の反感を買っても仕方が無い。事実、命令拒否などを起こした傭兵もいる。それほどまでに、サイファーという存在が強大だったのだ。が、その不満が、俺の相棒に直接向くことは無かった。彼女本人は、サイファーというTACネームを使ったに過ぎない、だだの傭兵だ。そして、彼女が俺たちの知っているサイファーだと言ったことは一度も無い。傭兵たちは、やり場の無い鬱憤不満を、酒や訓練などで晴らしたりしているのが実情だ。
そんなこんなで一日が過ぎ、今俺はオズワルド・フォックス司令に呼び出され、司令執務室の前の応接室の椅子に座っている。最初に二週間契約と言った手前、契約更新をするか、それともここで終了するかを決めなければならない。そういうわけで呼び出されたわけだが、司令付きの秘書らしい女性からコーヒーを渡されて待つように言われてから、既に20分が経とうとしている。外のジェットエンジンの音や、ケシロンの匂いもここまでは届いておらず、受付の秘書の書類をめくる音だけが響く。
(いくらなんでも遅すぎる)
いい加減、ドアを叩いてみようと思ったときになって、司令執務室の扉が開かれるが、出てきたのはシンキチ。難しそうな顔をしているので何かあったのか尋ねてみるが、適当に返事を返され、そのまま出て行ってしまった。首を傾げながらも、執務室に入る。オズワルド司令は、執務机の椅子に腰を下ろして、書類に目を通していた。
「少し待っていてくれ」
司令がそういうので、ソファに腰を下ろして部屋を眺める。
執務室内は、どちらかと言えば質素なほうだろうか。部屋の隅には本棚が設けられ、いくばくかの書籍とフォルダーケース。部屋の中央窓側に机があり、そこから滑走路とタキシングロードが見える。窓枠には、いくつかの写真が飾られている。あれは司令の若い頃だろうか?古さを感じさせる写真が一つ立てかけられている。パイロットスーツに身を包んだ若い頃の司令だろう男が、赤い髪の相棒だろう男と一緒に写っている。しばらく部屋を眺めていたが、オズワルド司令が書類を眺めるの終えてこちらを見る。そして穏やかに話し始める。
「よく来てくれたね、フォルク君。」
フォルクなんて呼ばれるのは、何年ぶりだろうか。いつも俺のあだ名で呼ばれるか、ラリーで通してきたからな。そう思いっていると、司令が対面のソファに座る。司令執務室のソファは、やはり贅沢なつくりをしているが、どうにもなじまない。俺には、せいぜいパイプ椅子が関の山だな。
「ここ2週間の君の働きには、我が軍は大いに助けられた。感謝している」
そう言って司令は握手を求めてきた。いつものブリーフィングでの雰囲気とは違う空気。司令は、おそらく契約更新の事を話してくるだろう。だが、俺にはどうしても聞かなければならないことがある。それを聞かなければ、更新する事も、ここから出ていくこともできない。
「我々としては、君に契約更新をして、ベルカからのウスティオ解放に尽力してもらいたい」
「それよりも、サイファーについて話してもらおうか」
そう、俺が相棒と認めるに足るあいつの事を、聞かなければ。司令は、俺の目を覗き込むように見てくる。
「アンタが、俺をスカウトした張本人だってことは分かってる。あの時あんたは、サイファーを監視しろ、と言ったな?戦闘意識に問題があるから、と。だが、あんたの言っていたサイファーは、別人。これはいったいどういうことなんだ?」
司令は俺の話すのを黙って聞く。俺も司令の目を見つめ、互いに目を合わせる。しばらく沈黙した後、司令はゆっくりと息を吐いた。
「シン・キチ君も同じ事を言ってきたよ。他の傭兵にも、いずれは公表するつもりだ」
そう言って司令は机の上の書類を渡してきた。そこに書かれているのは、誰かの死亡報告書。写真には、赤い髪の40台の男、名前は、ロバート・ユリシーズ・スタークとなっている。
この男は、さっきの司令の写真にいた奴じゃないか。思わずその写真と見比べてしまう。古い写真だが、面影は残っている。それに、この赤髪は間違いない。更に詳細なデータが付属されている。
第1航空師団第11飛行隊、フラミンゴ隊1番機。
TACネームは……サイファー!
(そうか、こいつがウスティオのサイファー……)
いかにも、精悍な空の戦士といった顔立ちだ。その下に経歴がしっかりと調べられている。本人以外、誰も知らないであろう経歴が。
「彼と私は、同じ空で戦った戦友だった」
司令は、窓際まで歩いていくと、視線を夜空へと上げる。外では、夜間偵察に出撃する連中が飛び立つところだ。夜空にアフターバーナーの光を灯して、鋼鉄の鳥が飛び立っていく。
「当時、私はレクタの解放戦線にパイロットとして参加していた。あの時のレクタの航空部隊はベルカ空軍から反逆者扱いされ、目の敵にされる立場だった。それを恐れ、ベルカへと逃げていった部隊員も多い。そのため、海外から傭兵を屋って空の戦力を確保していた。ちょうど、今のこの国のようにな」
司令は、窓際にあったさっきの写真を手にとって、懐かしむように眺めている。
「その中に、彼がいた。そのときから既に、彼はサイファー以外を名を名乗らなかった。本名を知っているのは、彼に信頼されたごく僅かの人間のみ。だが、実に気のいい男でね、基地のみんなからも慕われていたよ。懐かしい話だ」
司令は本当に懐かしそうに写真を眺めている。司令にとって、サイファーは最高のパイロットであっただけではなく、最高の戦友でもあったようだな。
俺は、司令の話しを聞きながらも、サイファーの経歴に驚かざるを得ない。1970年代はレクタの航空戦力増強に一役買い、80年代においては東部諸国独立の紛争に参加し、その多くで、かなりの戦果を上げている。その後、10年ほど消息不明、1990年にウスティオ空軍に配属…。
「彼の妻ともそこで知り合ってね。繊細な女性だが、とても強い人だった。5年前に病で倒れて、この世を去ってしまったが」
ひょっとしたら、このサイファーがウスティオ空軍に参加したきっかけは、サイファーの妻の死である可能性もある。
「レクタで敗れた私は、ベルカを追われた。ウスティオ空軍に極秘裏に招待され、教官として各地で戦技指導をしていた彼に、ウスティオ空軍に招かれたんだよ。同じ部隊に配属になりたかったが、彼は司令部への上申書を出して円卓近郊の基地に配属された」
それは、この書類にも書かれている。配属された基地は、ストラブルグ。確か、地質学の専門家が集うストラブルグ大学も近くの町にあったはずだ。
「そして、開戦直後の戦闘において彼は、戦死した…ウスティオにベルカの手を入れさせまいとしてね」
円卓…。開戦当初のベルカの電撃戦によって、ほとんどの部隊が壊滅させられた激戦区。今なお、ベルカ軍は強力な航空戦力を配備し、円卓を守っている。多くの戦士の血を吸って、赤く染まった大地とも呼ばれる因縁の場所。ウスティオのサイファーは、そこで戦死した。
「ウスティオのサイファーのことは分かった。だが、相棒はいったい誰なんだ?」
司令は俺の言葉に目を細めて微笑んだ。
「まだ、彼女の事を相棒と呼んでくれるのか…?」
そう、俺はあいつの事をまだ相棒だと思っている。確かに、あいつは俺の事を騙した人間だ。しかし、あいつが言うように俺が勘違いしていただけとも言える。司令に頼まれた仕事を聞いただけで、サイファーが本人だと確認もしないで、本物だと思い込んだのだ。あいつは、ただの傭兵に過ぎない。俺が、相棒にすることの出来る人間だと、思っただけの。だから、相棒にあたるのは、筋違いじゃないのか。俺の考えを口にし、司令はゆっくりとその言葉を考えているようだった。しばらく経ってから、司令は口を開いた。
「良いだろう、だがこれから話すことは他言無用だ。そして、彼女の本名は、彼女本人から聞きだすこと。それが、彼女との約束だ」
これからが相棒の本当の姿。それがどれほどの重みを持っているのか分からない。だが、相棒だと認めたあいつの事を捨て置くのは、どうもいい気分がしない。俺はゆっくりとうなずいた。司令もうなづくと、再び話し始める。
「彼女は、元はウスティオの正規兵だ。ただ、戦いに挑む理由に、訳があった。その訳を、認めるわけにはいかなかった。だから、私が彼女を除隊させた」
「それはつまり、アンタが相棒を傭兵に転職させたのか?」
司令は俺の質問にゆっくりとうなずき、そして続きを話し始める。
「彼女が所属していたのは、第1航空師団、第11飛行隊。部隊の中で、彼女が、唯一の生存者」
それって!?
「サイファーのいた部隊だ。もはや、部隊の全滅は時間の問題と悟ったロバートは、まだ若い彼女を逃がす事を決めた」
確かに、相棒の年齢は見た目だけでも若すぎる。そんな奴らを、ウスティオは開始直後の戦場で多く散らせてしまった。
「彼女を何とか説得し、彼はベルカへ戦いを挑んで行った。いや、ひょっとした彼は、彼女を逃がす為に無謀な戦いに挑んでいったのかも知れん…」
きっとそうだろう。あれだけの男が、死んでも守りたかった理由には、ふさわしいと思えた。だが、それがサイファーを名乗った理由になるのか?
「彼女は、退避したディジョン基地からストラブルグに偵察に向かい、そして、これを見た」
司令は、机の中から写真の束を取り出した。そこに写されていたのは、無残に破壊された航空基地のなれの果て。そして、灰色の街、いや、爆撃による火災で焼き払われた、街の跡……。
「部隊は全滅、同じ基地にいた父親も失ってしまった。帰還した彼女は、錯乱状態だった。その後、ディジョン基地にもベルカ軍が接近し、パイロットが不足していたため、彼女を上げた。……それが、更なる悲劇をもたらした。」
おそらく、相棒は憎しみで自分を見失っていたのだろう。そういう風になった奴を、俺も何人か見てきた。そういった奴は、すぐに早死にしてしまうことが多い。だが、時に生き延びる奴がいる。それが、相棒だというのか…。
「熟練したパイロットの多くを失った基地には、訓練生が戦闘に参加する状況だった。そしてその最中、司令官が逃亡を図った。基地の人員を見捨てて、ベルカに向かってね」
最低のクズだな。そう毒づかずにはいられない。そんな奴は、どこの戦場にもいる。そして、そういった奴のほうが長生きすることが多い。いい奴の生き血をすすって、生き延びていく……。俺も、何度そういった奴らに煮え湯を飲まされてきたことか…。
「軍の機密情報を見返りに、あの男は基地の人間を売った。その男の乗った機体を撃墜したのが……」
「…相棒だった」
「…そうだ」
重苦しい返事。相棒は、たった数日でそれだけの地獄を見て、生き延びてきたのだ。それならば、あんなふうに、何もかもに対して無関心になった訳も理解できる。ジョンのアタックも、俺たちの酒やトランプの誘い、昼食でさえ、俺たちが誘わなければどこで取っているのかも分からない。そんな生活を、あいつはいつから送ってきたのだろうか?
「基地は壊滅、半数以上の人員が失われ、空に上がった訓練生のすべてが帰らなかった。基地に降り立った彼女は、もはやこの基地に最初にやってきた姿を疑うほどに変わっていた。その後、撤退する基地の要員と共に彼女も後方基地へと飛び立った。そこで…彼女は、鬼になった」
鬼に?今までに見てきた相棒の姿は、そんな事を微塵も感じさせない、ごく普通のパイロットだぞ。それが、鬼だと?
「追撃して来たベルカ軍を、圧倒的な強さで撃破し、我々を安全に送り届けた。時には、戦闘の意思を失った者まで攻撃して…」
そんなことを…。正直信じられないが、司令の言い方は現実味を帯びている。それに、我々、と言うことは…。
「…司令、あんた…」
「あの基地の副司令だった。あの男の逃亡を止めることも出来なかった私は、闇に囚われた彼女の事を救いたかった。ロバートが、命を賭けて、救おうとした彼女を。だが、出来なかった。同じ部隊にいた父親まで失った彼女の闇は、とても深い」
かつての戦友が、命を捨てて守ろうとしたあいつは、結局闇へと堕ちて行った。それを、黙ってみているしかない辛さ。それがどれ程のものだったのだろうか…。
「だから、私は彼女を除隊させた、復讐に身を焦がす彼女を恐れたのだ」
司令の手が、震えている。恐怖だろうか?いや、この司令に限ってそれは無い。だったら、ここいるはずが無い。では……。
「そして、彼女を傭兵部隊へと転属させた」
「それはいったい、何故?」
「私が役に立たないばかりに、彼女をあんなふうにしてしまった責任を、果たす為に。傭兵たちから、彼女に教えてほしかったのだ。真に憎むべきものは何なのかを…。そして、再び彼女の本来の姿を取り戻してもらいたかった」
自分自身への怒り。己の不甲斐無さを恥じた司令は、戦争において多くのそういった場面を見てきた俺たち傭兵に託したのだ。彼女を、元の道へと戻す役割を。
「『戦争を憎むと言うのは簡単だが、実際に心身共に理解するのは難しい…』」
俺は、ある言葉を思い出し、それを口に出す。シンキチが教えてくれた言葉。あいつ自身の口癖でもある。
「シン・キチ君もそう言っていたよ」
「何故あいつは、サイファーの名前を名乗ったんだ?」
今までの話で、相棒がどれほどの苦しみを味わってきたか分かった。だが、肝心のサイファーの名前の理由が出てこない。
「隊長としての、サイファーを忘れさせない為、と思っていたが…彼女はもはやそんな事を考えていなかったよ」
疲れたような笑いを司令は浮かべた。
「サイファーの持つ、別の意味…『ゼロ』、その名を名乗るのは、自分しかいないとね」
『私の名前は、サイファー。それ以外は、何も無い』
そういった相棒の姿が、浮かんできた。相棒は、本当に何もかも捨てて、復讐鬼となってしまったのだろうか?だが、あの雪の日に見た相棒の姿と、この話の中の相棒の姿が結びつかない。もし、相棒がそうだとしたら、何故あの時あそこにいたのか。
「傭兵たちには、彼女はただの傭兵として教える。だが、真実を知った君とシンキチ君には、彼女を導いてもらいたい。そして、彼女の翼を守ってやってくれないか?それが出来るのか、君らしかいない。『片羽の妖精』と、『サックス』、君たちにしか」
「買いかぶりすぎだぜ…」
だが、相棒のどこかに惹かれているのも事実だ。あれほどの腕前の奴と一緒の空を飛べる事を喜んでいないとはいえない。
「謙遜しないでくれ。私なりに考えた人選なんだ。既に、シンキチ君は了承してくれた」
司令は、笑いながらも真剣に俺を見ている。目の前には、更新のための書類。そして、俺は…………。
[ヴァレー空軍基地宿舎 4月16日 21時23分]
"Valais Air Base Crew Quarters" 2123hrs. 16 Apr 1995
(まったく、何で俺がこんなことに)
今俺がいるのは、宿舎の廊下だ。といっても、自分の部屋のある宿舎でも、傭兵仲間のいる宿舎でもない。今いるのは、基地で働く女性用の宿舎。普通なら、男の俺が来る場所ですらない。幸いだったのが、今までに誰にも出くわしていないことだ。こんなところにいるのを誰かに見られ、それがジョンにでも知られたら……。
…考えるだけで恐ろしい。
そもそも、なんでこんなところに俺がいるのかというと…
(何で俺が、司令から託ったものをサイファーに届けねばらないんだぁ!)
10分ほど遡る。------
「そうだ、これをサイファーの届けてくれるか?」
話を終えた俺が、退出しようとしたときに司令から声を掛けられた。振り返ってみると、封筒をこちらに差し出している司令。
「そういうのは、さっきの秘書にやらせとけばいいだろう、何で俺がやらなきゃならないんだ?」
冗談だろ、今さっきの話は了承したが、そんなことまでする義理は無いぜ。だいいち、秘書がいるってのに何で俺が…
「秘書たちは、21時には業務終了でね、もう帰ってしまったよ」
扉を開いて探してみるが、明かりの消された廊下には誰もいない。ため息をつきつつ、司令の方を向く。
「だからって、俺に頼む必要は無いだろう。副官とか、誰か使いに出せばいいだろうが?」
「彼女の事を相棒、と言ったんだ。相棒なら、それぐらいやってやるのが、当然じゃないのかね?」
にやりと笑って封筒を渡す司令。確かに一理あるが、サイファーとはそういう立場ではないんだが……。
「私はまだ仕事が残ってるんでね。この間のアルロン地方の土地所有者から、抗議の書類が来ていてね…」
ヤバッ!
「何でも、畑がかなりの範囲にわたって焼かれたとか。私が直接手渡しに行ってもいいがその間、この書類を誰が処理してくれるのかね?」
「ラリー・フォルク、依頼を承りました!」
このままいたら面倒なことになりそうなので、そさくさと撤退する。
(シンキチの野郎、面倒起こしやがって…)
廊下を歩きながら心の中でシンキチに文句を言う。だが、シンキチの奴は既にどこかへ行ってしまったようだ。廊下には人の気配すらしない。それに、あの時シンキチが攻撃していなかったら、俺は生きていなかったかもしれないのだ。諦めて、女性用宿舎のある方向へと足を向ける。------
再び女性用宿舎。いちよう、万一の事態に備えるため、相棒の部屋番号は知っている。それがこんなことに役に立つなんて……。誰かを探して部屋の場所を聞かずに済んだのは良かったが、これじゃまるで女と密会するみたいじゃないか…。とりあえず、相棒の部屋の前には着いたが、ここからどうする?って、何も複雑に考える必要は無いな。普通に、ノックして、出てきた相棒に封筒を渡し、それで帰ればいいんだな、よし。
たかだか、それだけのことに気合を入れようとしているのに気がついて、止めた。いつものようにやればいいんだ、いつものように。
そしてリラックスして、扉をノックする為に手を上げる。
「何か用?」
「のわっ!」
後ろから聞こえてきたアルトな声に驚いて、扉に張り付くように振り返る。後ろには、相棒の黒い瞳。俺はその深い瞳に吸い込まれるような気がしてきた。相棒のほうも、こちらを見つめたまま。しばらくお互いに何も喋らない。
「何か用?」
最初に声を掛けてきたときと同じ質問。その声で俺はようやく、固まってしまった体と頭を動かせた。
「!…あっ、ああ。司令から、これを、渡してくれって…」
厳重に封印が施されている封筒を目の前に出す。相棒は、無言でそれを見つめている。
(な、なんなんだ。なんかまずい事でもしたか?)
別にそんなことは無いんだろうが、なんだか相棒の目に非難じみた感じがする気がして、俺もどうしていいのか判らない。そもそも、俺と相棒はそんなに話し合ったことも無ければ、お互いを知っているわけでもないのだ。沈黙が重く周りの空間を包み込んでいく。実際にはそれほど経っていないのだろうが、俺には随分と長く感じられた。相棒はようやく封筒を手にとって、それを持ってこちらに踏み出してくる。
(やっぱりなんかしたのか!?)
相棒の顔が近づいて来ると、もはや俺の頭はパニック状態に陥った。もはや、この空間からどうやって逃げおおせるかを、考え出すが、後ろは頑丈な扉、目の前には相棒。もはや八方塞じゃないか!
「どいてくれる」
(ああ、もうだめ……ん、なに?)
「部屋に入れないわ」
俺の目を見つめながら、無表情に言い放つ相棒。扉の前から横にずれると、何も言わずに中へと入っていった。俺はその後も閉じられた扉を見続けていたが、用事が終わった事に気がついて外へと出て行った。
(はああ、・・・・・・何とか終わったな)
外に出てみると、空は満天の星空。北極星が山の上で瞬く、きれいな夜空だった。
夜空をのんびり眺めるなんていつ以来だろうか…
思えば、あの孤児院を出た後からずっと、戦闘機に乗ってきた気がする。子供の頃は星空を眺めるのこともあったが、傭兵として生きるようになってからはそんな時間も無いほどに戦ってきた。いや、人殺しとなった自分のことから逃げる為に、戦いの中に身を投じてきたのかもしれないな。
俺は宿舎からそう遠くない草むらに腰を下ろして夜空を見上げる。周りは、まだ虫も多く出ていないのか、それとも高地だから虫が少ないのか、あまり音が聞こえず、静かな空間が広がっている。そこに、遠くの空からエンジンの音が聞こえてくる。おそらく、夜間偵察に出ていた連中が帰ってきたのだろう。俺は、そのエンジン音に耳を傾ける。
エンジンの回転数が下がり、音の高さが下がる。着陸態勢に入ったのだろう。徐々にエンジン音が大きくなる。滑走路に近づいてきた。タイヤが地面に接した音が響く。しばらくタイヤの転がる音とエンジン音が響いていくが、徐々にそれが小さくなっていき、やがてそれもほとんど聞こえなくなってくる。ハンガーの前に着いたな。そして、とうとうエンジン音が聞こえなくなり、辺りはまた静かな空間が広がる。
「きっしししし」
なんだ?今の変な音は?
「きっししし、み〜て〜た〜ぞ〜…」
出たあぁ!!
いつの間にか後ろに回りこんだジョンが嬉しくて堪らないという顔をしている。
「サイファーに振られて、一人黄昏る妖精さん。いい絵だねぇー」
「いきなり出てくるんじゃない!」
[ヴァレー空軍基地食堂 22時04分]
"Valais Air Base Cafeteria" 2204hrs, 16 Apr 1995
あの後、絡みついてくるジョンを何とか振り切って自分の部屋に辿りついたが、なんだか眠れそうに無いのでここに持参のウィスキーと一緒に来た。既に営業時間外の食堂には誰もいない。ウィスキーをゆっくりと味わいながら、サイファーのことについて考える。あいつは、この戦争で地獄を見てきた、そして、自ら全てをなげうって復讐の黒い炎に身を投げた。そして、それを認められずに、この基地へと送り込んだオズワルド司令。サイファーと名乗った相棒。本当にそうだろうか?なんだか、この話には裏がある、そんな気がしてくる。
ふと気配がしたので入り口のほうを見ると、シンキチがこちらを見ていた。手招きするとこっちにきて、対面の椅子に座った。シンキチは何も喋らない。俺も、話しかける気になれず、そのまま沈黙を守る。
「聞いたのか?」
シンキチが声を放ち、俺はゆっくりとうなずくだけ。それきりまたお互いに何も喋らない。それだけ、不満の残る話だった。確かに、相棒は特に空戦にいては天才的な腕前を発している。だが、それが復讐の為にあいつが備えた力だと、本当に言うのだろうか。それに、部隊の仲間を全て失い、更に別の基地でも多くの人間が目の前で死んだ。それだけでも、人が変わるだけの理由にはなるだろう。しかし、相棒はそれ以上のものを見てきた気がする。もっと、心の奥底に深い傷をつけ今なお、棘が傷口を傷つけているような、そんなものを。
「不満か?」
シンキチも、同じ気持ちだったらしい。やはり、俺はゆっくりとうなずき、自分の考えを呟く。
「あれだけことが相棒に起こったのはわかった。だが、司令は、まだ何か隠してる。俺たちに教えることの出来ない、何かを」
そうとも、司令がまだ話していないことがあるに違いない。さっきは、相棒の身の上を聞くだけで手一杯だったが、よくよく考えればそうだ。
「それは俺も思った。あいつの姿を今日一日見てきたが、あれは今日の話だけで片付けられるような感じじゃない。もっと深い、何かがある…」
「二人とも、それでどうするんです?」
二人しかいないと思った食堂に響く声。驚いて振り向くと、整備班のアルバート・タカシタがこっちを見て立っていた。
「知っていたのか?」
ばつの悪そうに、うなずくアル。
「司令から、いろいろと話されましてね。それとなく、面倒を見てやってくれ、とね」
前の作戦で、アルの事を執事だと言ったが、あのときの考えは、案外冗談だともいえなかったんだな。
「司令が、お二人に話されたといっていたので、探してたんですよ」
俺たちの方へ近づいてきながら、アルバートは話し始めた。そして、お互いに見つめあう。最初に口を開いたのは、アル。
「それで、これからどうするつもりです?」
「…わからん」
実際、俺たちもどうしていいのか、分からない。面倒な事を押し付けられたと思ってもいいが、いまさら見てみぬふりをするのも気が引ける。しかし、俺たちに何が出来るのだろうか?
「俺たちに出来ることは限られてる。それに、体に出来る傷と違って、心の傷は、直すのが難しい」
「そして、最後には自分で乗り越えていかなければならない」
シンキチの言葉に続けて答える。それっきり、俺たちの間に沈黙が流れる。俺たちに出来る事を、精一杯やるしかないが、それでも理不尽なこのことへの不満がまだある。何故相棒が、あんな風にならなければいけなかったのか?そして、何故あんな風になる事を、相棒は認めたのだろうか?
「まったく。本当に戦争を憎むと頭ではわかっても、心で理解するってのは、難しいもんだな・・・・」
シンキチの言葉が、俺たちの気持ちを代弁していた。俺は、ぬるくなったウィスキーを流し込む。その苦味が、今日はやけに沁みる。
[サイファーの自室 22時35分]
"Cipher's Room" 2235hrs, 16 Apr 1995
部屋の中には、備え付けのベッドと、服を仕舞うチェスト兼、机のみ。他のものは、ストラブルグと一緒に燃えてしまっているだろう。
私の思い出、私の故郷、私の家。全てなくなってしまった。あの日、ストラブルグに黒い鳥が飛んできた日から。
どうして父は、私を逃がしたのだろう?あのまま、父と共に戦っていれば、こんな苦しみを味わうことは無かった。エリオットを失うことも無かったかもしれない。
今でも、目をつぶればあの頃の楽しい思い出をよみがえらすことが出来る。でも、それはもう心の中にしか生きていない。
どうして?どうして?どうして?
毎晩、暗くなるとその答えの出ない思考を繰り返してきた。結局、そのまま寝付いてしまい、朝になって、夢に出てきたみんながいない喪失感に苦しまれる。
そうやって、この3週間をすごしてきた。
でも、敵機を撃墜したとき、そのときだけ、私は苦しみから解放された。
だから、逃亡を図った機体を撃墜することにも何の躊躇もしなかった。無線から聞こえてくる、徹底抗戦を謳っていた司令官の、命乞いの声。耳障りだったから、トリガーを引いて黙らせた。ついでに、周りにいたベルカの戦闘機も落とした。
その後の撤退戦で、近づいてきた敵機、地上部隊、全部壊していった。そうしなければ、自分を完全に見失ってしまいそうだった。撤退していく敵機に追いすがって、キャノピーを吹き飛ばす。車両を捨てて逃げ出した敵兵を掃射する。
やがて、私は何も感じなくなった。罪悪感も、Gに押し付けられる苦しみも私の心に響かなかった。
そして、オズワルド司令に傭兵部隊に参加するように言われ、ここに来た。そこで、私の事を相棒と言ってくる人に会った。
『片羽の妖精』
1992年の戦闘において、片翼を失っても任務を完遂し、帰還したパイロット。
さっき、その人が渡してくれた書類に目を通す。司令が、私に教える傭兵たちの経歴。今回は、昨日私のことで色々言ってきたシン・キチと言うパイロットについて。
私は、この基地にいる全ての傭兵のファイルを見た。それが、私の仕事。
ウスティオのサイファーが、まだ生きていると思わせ、傭兵たちを多く集める。そうするしか、この国を立て直す手はない。
そう言って、替え玉になる事を了承させた司令。私にとって、それはどうでも良かった。ただ、サイファーの意味を知ったときから、私が名乗る名前はこれしかないと思っただけだ。
でも、私は人を近づけようとしていない。私の近くに来た人たちは、みんな死んだ。だから、親しい人たちは作らない。
そうすれば、どんな人が死んでも、悲しむことはない。あの、私の事を相棒と言ってくる、ラリー・フォルクでさえ。
そうしなければ、私は、あいつらに勝てない。
私の目に焼きついた光景。
焼き払われた、ストラブルグの街。そして、その上空を飛び交う黒い戦闘機たち。しばらく街を機銃掃射した後、飛び去っていく、黒い戦闘機。あっという間に見えなくなってしまったそいつらを、追いかけることは出来なかった。
黒い炎は、その火種をしっかりと灯し、彼女の心を業火の如く焼く。
私は、あいつらを、コロス。コロシテヤル。
その炎が、彼女を苦しめる。そして、彼女は更に炎を大きくする。
コロシテヤル
悲しみの連環に囚われた彼女が、逃れる術は……今はまだない。