私は、暗闇の中を彷徨っている。周りを包む闇は、とても深く、足元でさえ見えるか見えないかぐらいの暗さだ。
なぜここにいるのか。
そんな疑問を持ちつつも、足は当てもないところへと向かい、歩み続けている。果たして、この闇には果てがあるのか。それすらも分からないまま、歩き続けてどれほどになったのだろうか。少し向こうに、僅かな光が見えるようになった。私がその光に向かっていくと、光がやがて形をまとった。まるで蛍が一箇所に集うように徐々に人の形になっていくそれを、私は飽くことなく眺める。やがてそれは、エリオットと父になった。
私は、喜び勇んで二人のところへ走りよろうとしたが、二人との距離がまったく狭まっているようには見えない。
なんで、どうして?
私は、必死になって足を動かすが、二人に近づいていけない。理不尽な状態に涙が出てきたが、それでも私は足を止めない。その時、私のすぐそばを通り過ぎる黒い何かが見えた。
何!?
瞬く間に私を追い越したそれが、父の胸に穴を開けた。血を噴き出しながら倒れこんだ父の姿。私は声も出せないまま、その場で佇んでしまった。そして、さっきの黒い影がエリオットに向かう。
やめて!!
私の叫びも空しく、エリオットの胸にも血の染みが出来る。やがて、黒い影が鳥の姿になって、二人の体をついばみ始めた。二人の血を浴び線が浮かび上がったその姿に、私の心の奥に何かが沸き起こる。周りの闇よりもはるかに濃い闇の炎が、私の心を包んでいく。血の滴る音が、轟音へと変わっていく。そして……
「っ!!」
目の前に映ったのは、宿舎の天井。自分の部屋だった。
壁に架けられた時計が、時刻は04時30分を過ぎた辺りだと示している。部屋の外から、エンジンの音が聞こえてくる。おそらく、早朝出撃に出る連中だ。背中が不快な汗でぬれていることに気がついたが、気にせずにもう一度ベッドで横になる。あの黒い鳥の姿が目に焼きついて離れないからだ。父とエリオットの返り血を浴び、闇の中にあってその体の線を赤く染め上げた、黒い鳥の姿。私が傭兵になった理由。そして、まだ私の心臓が鼓動を刻んでいる理由。私の心を包む黒い炎に火をつけた、張本人。心の奥から湧き上がる黒い炎が、私をここまでいざなってきた。爆撃によって完全に焼き払われた、ストラブルグの街。落ち着いた街の姿はもはや思い出の中にしかない。いったい誰があの時攻撃を命令したのかも知らない。だが、私はあのときの事を、決して忘れないし、許さない。いえ……忘れることが出来ない。ベッドの中でシーツに包まりながら、震える体を抱きしめていた。


[ヴァレー空軍基地滑走路脇 5月05日 04時38分]
"Valais Air Base Runway" 0438hrs. 05 May 1995


早朝出撃で飛び立ったフェンリル隊のトールさんのEXトムとノーマルトムの飛び立つ姿をカメラに収める為に、この早い時間に起きたランディは、宿舎から誰かが出てくるのを目撃した。その髪が、山間から差し込む朝日に、紅く反射した。そこで、カメラを構えてその姿を収める。朝日が差し込む方角に、目を細めて顔を向けるその姿は、まるで神話に出てくる戦乙女のごとき神秘さを持ちながら、それでいて儚い夢のようなおぼろげな姿を見せてくれる。俺がカメラを向けているのに気がついたサイファーは、気にしなかったようにそのまま歩いていってしまった。その時になって、俺の後ろにジョンさんがいるのに気がついた。
「ようレポーター、朝早くから精が出るな」
「あなたこそ、どうしたんです?こんな時間に」
メナス隊を率いる、ジョン・トラヴィスさん。ラリーさんとも仲が良く、時々彼をからかっている。
「なに、ちょっと早起きしたくなっただけさ」
そういいつつも、視線はサイファーのほうを向いている。彼のサイファーへのアタックは、ある意味この基地の名物に近い。機会さえあればアタックをかけて毎回失敗しているその姿は、もはや哀愁すら漂っているかのように錯覚する。しかし、本人はいたって普通で、時には他の女性についても手を出したりもしている。昨日の夜も、彼が宿舎に戻ったという声は聞かれなかった。しかし、いまだにサイファーだけは難攻不落の要塞であり続けている。そのサイファーを見つめている姿を目の前にして、俺は何となくその姿をカメラに収めた。彼が、いつもおちゃらけているように見えるのは、何か理由があるのではないか、と思ったりもしたが、いまの彼を見てもその謎は解けそうにない。しかし、朝日の中にたたずむその姿も、彼の一部分であることには違いないのだ。
撮られていることに気づいた彼は、照れるように頭をかいた。そんな写真を撮って、どうするのだ、と。私は、笑って答えなかった。その後、二人で朝の食事を取りに行った。


[食堂 05時03分]
"Cafeteria" 0503hrs, 05 May 1995


食堂は、早朝出撃に出る連中や、任務で食事が不定期になる人たちの為に、0500時には開店する。開店直後だというのに、既に10人近くの人たちが何人かで固まって食事を取りながら話していた。俺は、その中で唯一、ただ一人だけで食事を取っている人物を見つけた。傭兵たちの固まりから離れ、一人静かに窓際の席で食事を取るサイファー。やはり、彼女の行動一つ一つが絵になる。自分の分の食事を取った後、その席へと向かう。

今朝は、あまり良い気分の目覚めではなかった。あの夢の所為もあるが、その後寝ようと思ったところに出撃していった部隊の機体のエンジン音で完全に目が覚めてしまい、寝付けなくなってしまった。仕方なく、早起きする理由も無しに食堂で朝食をとることに決めたが、入る前に傭兵たちに話しかけられた。寝不足で不機嫌なときに、無遠慮な掛け声はとても神経に障る。少し睨みを聞かせて、朝食時の静かな空間を確保する。窓際の席は、ほとんど私以外の人を気にしないで済むような状態になった。その静かな空間で、朝食のサラダを口に運ぶ。
「向かいの席、座っても良いですか?」
食事を取っていると、向かいに立つランディ・ウォルコットに声を掛けられた。彼の手には、食事を乗せたトレー。
今は、静かに朝食をとりたい。
私は、彼の顔を見た後、無視してそのまま食事を再開する。それを了承と受け取ってしまったのか、ウォルコットは向かいの席に腰を下ろした。嫌そうな顔をしたが、どく気は無いらしい。こうなったら、徹底的に無視して朝食を早く終わらせてしまおう。私は黙々と朝食を食べ、朝食を口にする音だけが響く。しばらく後、ウォルコットから口を開いた。
「こんな朝早くに起きて、どうしたんです?」
答える必要性の無い質問だ。無視して朝食のミルクを流し込む。少し表情が変わったが、ウォルコットはそのまま喋り続けている。
「この基地に来てから、まともに話した事はないでしょう?ねえ、何か話してくださいよ」
コップに入ったミルクが、なくなった。静かに、コップをトレーに戻す。それから、ゆっくりと言葉を返す。
「必要になったら、そうしましょう」
目を見ながらそう言って、トレーを持って出口へと向かう。後ろでは、ウォルコットがこちらの事を見ているが、気に止めずに返却口にトレーを戻して食堂を後にした。

「振られちゃったねぇ」
まるで、慰めのようにジョンさんが声を掛けてくる。俺は、それに苦笑いで答えながら、冷めてしまった朝食に手をつける。結局、彼女に対して何か反応を期待するのは無意味だということの裏づけを行っただけになってしまった。しかし、彼女の反応を見ていると、何に関しても無関心、というわけではないのではないのか?という、疑問を持つようになってきた。さっきの時だって、こちらが近くにいることには関心を持っていたようだったし。人を寄せ付けない態度は、別な見方をするならば、人を近づける事を恐れている、とも取れる。
ともかく、今日一日ぐらいは、彼女の事を追いかけてみようかと、ランディは考えるのだった。
「…まずい」
やはり、暖かくなったサラダドレッシングは、このレタスには合わないようだ。サラダを避けて、朝食の残りを片付ける。


[ハンガー 06時01分]
"Hanger" 0601hrs. 05 May 1995


探していたサイファーは、ハンガーで自分の機体のチェックをしていた。サイファーがコックピットで自分の機体を見ている下では、アルバート・タカシタ整備班長率いる整備班が、同じハンガーのラリーさんの機体を含めたガルム隊の機体の整備を行っている。整備用のつなぎに身を包み、油でところどころ汚れている姿でこちらに手を振ったアルさんに挨拶を返し、カメラをコックピットのサイファーに向ける。整備班の誰かが持ち込んだのだろうか、ラジカセから女性ボーカルの声がハンガーに響く。この曲は、確か今年リリースされたばかりの曲だったはずだ。カメラを構えたまま、ラジカセの近くにいる整備員に、曲名を聞いてみると、『Blue Skies』との事。まるで、その曲名の通りに、空は快晴。遠くの空の雲まで見えるような広がりを見せている。視線を再びサイファーのいるコックピットに戻すと、既にそこにサイファーの姿がなかった。周りを見渡しても、その姿を見つけられない。機体近くにいたアルさんに聞いてみると、奥の扉からどこかに行ってしまったとの事。
なんだよ、そこまで避けることはないだろう。
少し、気分が沈んだが、今日一日は彼女を追うと決めたんだ。最後までやってやろうじゃないか。彼女が消えたという扉へと駆けていく後ろでは、アルがどこか遠い目をしてこちらを見ていることに、俺は気づかなかった。


[搭乗員室 06時52分]
"Crew Room" 0652hrs. 05 May 1995


どうして、彼女はこんなにも見つけるのが難しいのか。ハンガーで見失ってから、ここにいるのに見つけるのに、50分も掛かってしまった。彼女は、搭乗員室に備え付けられた新聞立ての、オーシア・タイムズを読んでいた。
「探しましたよ。いきなりいなくなるなんて、酷いじゃないですか」
「別にあなたを待たせていたわけではないわ」
ごく普通に話しかけたはずなのに、こっちのほうも向かずにあっさりと切り返した。顔が少しひくついた気がするが、口調は変えずに話しかける。
「そりゃ、そっちにとってはそうでしょうけど…朝からあなたの事を取材しようと、ずっと探してたんですよ」
サイファーは、ようやくこちらを向いたと思うと、その深い瞳でこちらを見つめてきた。俺も、その瞳をじっと見つめる。と、サイファーが立ち上がった。そして、コーヒーの販売機へ行きコーヒーを買う。
「そんなことして、何になるの?」
コーヒーがカップに落ちる音を聞きながら、サイファーが話し始める。俺も、その近くまで寄って答える。
「俺の取材が、どんな意味を持ち、どれだけの価値を持つか。それを決めるのは読者です。それに、俺は興味本位で人の周りをうろちょろするわけではありません」
サイファーが、コーヒーの入ったカップを取り出すと、自分の分のエスプレッソを買う。カップから、コーヒーの芳香が辺りを漂う。
「何故、私なの?」
彼女のほうは、アメリカンだろうか。カップに入っているコーヒーは、既に半分ほど減っている。
「この基地にいる全ての人を記録したい、と思っています。それだけです」
自分のほうのエスプレッソを取り出して、すぐに口をつける。熱い。熱くて、口からすぐに離してしまった際に、カップから少しこぼれて服にかかってしまった。舌打ちしながらもすぐに拭いたが、ようやく手に入れた新しいベストに染みが残ってしまった。ふと隣を見ると、サイファーの姿が既にない。ドアのほうが開いているから、外に出て行ってしまったのだろうか。
ひょっとしたら、人を近づける事を恐れているのではなく、近づこうとしても近づけないのを見て楽しんでいるのではないかと思いつつ、彼女の出て行った先を考える。またハンガーに行ったのではないだろう。かといって、今食堂に向かったら混雑に巻き込まれるだけだ。としたら、他に彼女が行く場所は……


[ヴァレー空軍基地脇、森 09時55分]
"Forest, Side of Valais Air Base" 0955hrs. 05 May 1995


森の妖精、というわけでもないだろうに。俺は、彼女が歩いていくのを目撃された基地の脇の森の中に足を向けていた。ここ、ヴァレー空軍基地は、その立地条件、フェンスなどの囲いを必要としていない。天然の要害の地にあるため、付近には人間は住んでいない。一番近い人里ですら、ヘリで50分掛かるのだ。その代わり、雪崩などの防護壁が近くの山の斜面に設置されている。サイファーがいるらしいのは、その手前、基地に面した森の中だ。その入り口までは来れたが、俺はそこで1度立ち止まった。森は、高地にある所為か、全体的に枯れた印象を与える。しかし、その雰囲気は人を近づけさせないような気がしてくる。基地の人間も、あまりこの森には入らないらしい。そんなところへ、入って行ったサイファー。俺には、その理由が分からない。しかし、彼女を追うと決めた以上、最後まで追う。それが、ジャーナリストの端くれである俺の、することだ。
「何してるんです、こんなところで?」
声を掛けられたので振り返ると、オセロー・フィッシュバーン少尉がこちらを不思議そうに眺めていた。俺が、サイファーがこの森にいるらしいと伝えると、少尉は納得したようにうなずいた。
「なるほど、彼女はこんなところにも来るのですね」
まるで、新しくサイファーの居場所を発見したような言い方に、俺は尋ねてみた。
「他にも、どこに行くか知ってるんですか?」
「知っている、と言えば知ってますね。といっても、ほんの一部ですが」
それでも良いから教えてくれと頼むと、少尉は親切に教えてくれた。
「この間は、管制塔にいたって聞いてます。不思議な人ですよ、あの人は。普通に他のパイロットたちに溶け込んでいるかと思えば、いつの間にかいなくなってしまう。どれが普通のように思えてしまうんですよね、あの人の場合」
少尉は言い終わると、森のほうを眺める。彼は、元々からここヴァレーに配属されていたれっきとした正規部隊の所属だ。彼が率いるハウンド隊は、開戦以来1機も未帰還機を出していないため、唯一正規兵のみで構成されている。
これは、ハウンド隊のとある隊員に聞いた話だが、少尉は最初、傭兵がここに来ることは反対だったそうだ。もし、このまま傭兵を同じ基地に配属させるなら、自分から辞めてやる、とまで言ったそうだ。それが何故、いまだにこの基地にいるのかというと、『片羽の妖精』がこの基地に来ると聞いて我慢したから、というなんとも現金な理由だった。しかし、彼の腕前はかなり良いらしい。他の傭兵にも、その腕前は認めるといわれている。ただ、その生意気な態度は気に入らない、というのが意見の大半を占めている。以前、傭兵に対してどうしてそんな態度をとるのか聞いてみた。答えは、『傭兵という職業は気に入りませんが、空を舞う強いパイロットは尊敬できます』。なんだか、ご都合主義みたいな考えだが、それでも彼が今まで生き延びてきた強者であることには違いない。
「まあ、彼女は実に魅力的だよ。取材をするにしても、ね」
俺は、彼に一言言ってから、森の中へと足を踏み入れた。森に入ってすぐに気づいたが、この森の中に入ると基地から聞こえる雑音はほとんど聞こえなくなるのだ。少尉と別れるまで響いていた、エンジンの轟音や、整備の音、人の生活音は、この森ではまったく聞こえない。俺は、本来の目的であるサイファーの捜索よりも、この森を探検することのほうが面白いのではないかと思い始めてしまった。ともかく、俺はこの森で迷わない程度に周りを歩き回ることにした。

この森へは、つい最近訪れたばかりだ。自分の部屋などではなく、人の気配の感じられない場所を探しているときに、この森が目に入り、中に入ってみてここが気に入ってしまった。森の中は、静寂に包まれていて、時折聞こえる戦闘機のエンジン音が、ここは基地のそばである事を知らせてくれる。そうでなかったら、どこか知らない森に迷い込んでしまったかのように思ってしまう。しかし、その雰囲気が今の自分には心地いい。人の気配を感じられない、この場所が。だけど、今回の場合は誰も来たくない場所を選んで逃げてきたようなものだ。ウォルコットがしつこく私を探してくるので、しかたなしにこの森に逃げ込んできた。
しばらく森の中を歩いていると、アルペンローゼの生えた場所があった。この森は、枯れたわけではなかったのね。地面に生えているアルペンローゼは、紅色とも赤ともいえない微妙な色合いをしている。私は、その紅い花を見ながら手近な木に背を預けて、ここに来るまでを振り返ってみた。ストラブルグに突如表れた、ベルカの黒い鳥。そして、父に言われてディジョンへと逃げていった。その間に、街は破壊された。やがて、ディジョン基地に迫ったベルカ。基地司令が、あの時は副司令だったオズワルド大佐の忠告を無視し、私を空に上げた。そして、目の前でどうすればいいのかも判らないまま死んでいった訓練生たち。逃亡した司令官。それが乗った機体のコックピットを撃ち抜き、敵を全て撃破した。撤退戦で、近づいた敵も全て。そして、傭兵へ。振り返ってみれば、私の今があるのはこのときがあったからだろう。ウスティオが数日でベルカの占領下に落ちたように、私の心も、闇に堕ちた。
そんなふうに考えた時、何かが折れる音が聞こえた。
何?
周りを見渡してみるが、何も姿は見えない。だが、何かがいるような気配が感じられる。私は、腰のホルスターからオーシアからの提供品の9mm拳銃、M92Fを取り出す。黒く、ごついその外観から、殺傷能力のある9×19mm弾を発射する軍用拳銃は、不思議と私の手にフィットしている。父から、護身術のみならず、射撃術の手ほどきも教えてもらった私は、一般兵士ぐらいならば互角に戦えるだけの実力を持っている。ただし、それが並みの兵士であったならば、だ。それ以上の人間を相手にする実力は無い。そして、ここは山の高い場所に位置するが、熊などの凶暴な動物がいないとは言い切れない。もしかしたら、彼らのテリトリーに入り込んでしまったのだろうか。そう思慮しているうちに、正面の草むらから草を掻き分ける音が聞こえてきた。私は、その方向へ銃を構えながら相手が姿を現すのを待った。しばらくすると、相手がその姿を現す。
「……」
「ニャーーア」
なんてことは無かった。ただの野良ネコだ。といっても、体長は50cmほどもある大型の、いわゆる、山に生息する為に体が大きくなった、イエネコとは別種のヤマネコと呼ばれる種類だ。私は止めていた息を吐き出して、銃をホルスターに収めた。目の前のネコは、こちらを不思議そうに見ている。それにしても、こんな山奥にネコがいるなんて、不思議なものだ。ここは、夏の一部を除いて雪に周りを囲まれている、と言うのに。

まったく、何でこんなことになってしまったのか。ランディが森の奥深くに入り込んだサイファーを探して、既に30分。いまだに彼女を見つけられないでいた。その代わり、高山植物の写真を撮ったりして、基地の周りの自然のPRに使えるんじゃないか、と考えたりも出来たが。だが、ここに入ってきた本当の目的は、サイファーだ。それを見付けないと、意味が無い。とはいえ、この森は意外と目的のものを見つけるのが難しい。木々の生え方はそれほど濃いわけではないのだが、視界を確保できるのはせいぜい20メートル程度だ。それでも、ランディはサイファーを探し続ける。その目の前に、アルペンローゼの紅い花が現れた。ランディは、それをカメラに収めようとして、すぐそばの木に背を預けて腰を下ろしているサイファーの姿を見つけた。その手は、足のところにいるネコの首に置かれている。その表情は、今までに見たことの無い、とても穏やかなものだ。微笑さえ浮かべているように見える。
きれいだ。
そう思わずにはいられない。元々、どこか硬く、人を寄せ付けないイメージがあったサイファーだが、今の彼女は修道女のような穏やかな雰囲気を漂わせている。俺は、その姿をカメラに収めた。シャッターを切る音に気づいたサイファーがこちらを向き、初めて俺の存在に気づいたような顔をした。
「こんなところまで来たの」
「取材をする、って言ったでしょう?」
笑ってもう1度カメラを向ける。彼女はそのカメラを気にせずに、そばの猫の首をなで続ける。そのシーンも、一枚。
「二人とも、何してんだ?」
「うわぁ!」
真後ろからいきなり声を掛けられて、驚いて声を出してしまった。サイファーのそばの猫が驚いて目を丸くしている。後ろに立っていたのは、ラリーさんだった。俺は、ほっと息をついた。
「脅かさないで下さいよ、ラリーさん」
「何やってんだよ、こんなところで」
ラリーさんが、俺とサイファーを交互に見ながら尋ねてくる。ラリーさんは、ガルム隊のワッペンが刺繍されたジャケットを着ている。
「サイファーの取材です。あなたこそ、どうしてここに?」
「あんたたちがこの森に入り込んだって聞いたから、何をしているのか見にきたんだよ」
答えると、少し呆れたように返されてしまった。そのまま、ラリーさんはサイファーのほうへと歩み寄っていった。そして、サイファーのなでていた猫の首をなで始める。ネコは、気持ちよさそうにのどを鳴らしている。サイファーも、嫌な顔もしないでそれを見ている。俺はその風景を見ていて、彼女がこの基地で唯一の信頼を寄せているのは、ラリーさんなのかもしれない。きっと、そうだろう、と思っていた。だから、俺みたいな奴の出番はないのだ、と。最後に、二人のその姿を撮った後、諦めて俺はその場を離れようと足を森の外に向けた。
「取材、するんじゃないの?」
珍しく、サイファーのほうから話しかけてくれた。でも、俺はもう満足していた。同じ部隊で、互いを僚機として認め合っている二人の姿を、収めた時点で。
「この写真だけで、充分ですよ」
笑ってカメラを見せながら、彼らから離れていった。二人の間を、邪魔するつもりは無かった。でも、この事を知ったジョンさんがどんな行動に出るのか。ちょっとだけ興味があった。
「教えてあげようかな」
そんな事を呟きながらも、森の出口へと歩んでゆく。

森の中でネコと戯れるサイファー、ね。俺はあまり目に浮かばなかったその姿に、最初は少し驚いた。そこで、俺は相棒の顔を良く見て、気づいたんだ。その顔は、とても穏やかだって。相棒が、どうして俺たちを一定以上の距離に近づけないのかを知っている俺やシンキチにとっては、その姿は自分の役割の終わりを意味している。結局、オズワルドのだんなの心配は杞憂に終わった、ということだな。そして、俺が近づいて猫の首をなでてみても、相棒はごく普通な顔をしている。そのうち、ランディもいなくなって、辺りには俺たち二人だけになった。今だけは、相棒の無口に感謝したい。もしこのときに、ジョンの奴のように喋り捲られては、いくらなんでも気分が落ち込む。しかし、相棒はすぐそばで丸くなっている猫を眺めるだけだ。そのまま、静かな時間だけが流れる。俺も、近くの木に腰を下ろし、タバコに火をつける。ゆっくりと燻らせて、そのうまみを味わう。森の中は風通りが言い訳ではないが、まったく無いわけではない。ちゃんと、サイファーのほうに煙が行かないように配慮して、タバコをすう。3本目をすい終わった頃に、サイファーが立ち上がった。そして、こっちに向かってくる。俺は、その姿を見上げる形で、見つめる。
「なんだ?」
「あなたは何の為に、戦うの?」
サイファーの唐突な質問。俺は、その質問にすぐさま答えることは出来なかった。もう一度、タバコに火をつけながら、考える。そして、考えがまとまり始めた頃に、話し始める。
「戦争で傭兵として戦ってきたのは、金の為だ。それ以外の理由には、興味が無かった。だが、この戦争でウスティオに参加したのは、ちょっと違う気がする」
そこで一旦区切って、一息つく。相棒は、こちらを見つめたままだ。そして、タバコを一回ふかしてから続きを話し始める。
「ウスティオにいるらしい、サイファーに会ってみたい。ただ純粋に、パイロットとして尊敬できるその人に人目あってみたい。そんな理由でこのヴァレーに来たのさ。子供っぽい理由だな」
最後のほうは、皮肉っぽく。またタバコを口に入れながら。
「そして、今ここで戦っているのは、サイファーというパイロットが気になるから、かな?」
相棒の顔には、微塵も表情は表れていない。ただ、こちらを見つめるだけだ。俺は、そのまま喋り続ける。
「アンタが、どれだけ辛い思いをし、どれだけ苦しんできたのかは、俺には分からない。だが、これだけは言えるぜ。どんなに辛くても、どんなに苦しくても、それを乗り越えてこそ、空を飛ぶ価値はあるんだ」
ひとしきり言い終えてから、相棒の顔を見つめる。相棒は、最初のときと同じように俺の顔を見つめていた。その黒い瞳は、どこまでも深く、だが、とてもきれいな色をしている。お互いに、さっき俺が喋ってから口を開かず、時間が過ぎてゆく。そして、相棒の手が腰のホルスターに伸びて、銃を俺に向けてきた。俺は、おそらく自分の眉間に向けられているだろうその銃口を見つめる。相棒の口が、開かれる。
「どんな理不尽な理由でも、捨てられない過去はあるものよ。たとえ、それに何の意味を持たなくても」
サイファーは銃を仕舞うと、森の外へと歩き出した。先ほどのネコもどこかへ行ったらしく、周りには俺以外の誰もいなくなった。その中で、タバコをふかそうとして、既にフィルターのすぐそばまで燃えていることに気づいた。もう1本を取り出し、火をつける。
「どうやら、相当根深かったみたいだなぁ、この問題は」
俺は、自分の考えが甘かった事を思いながら、5本目のタバコの煙を燻らせる。風向きが変わったのか、タバコの煙が目に沁みた。


[ヴァレー空軍基地食堂 19時30分]
"Valais Air Base Cafeteria" 1920hrs. 05 May 1995


その後、俺たちはごく普通の態度で一日を過ごした。機体の整備や、トレーニングを行い、昼食を取って、スクランブル待機の時間をハンガーで過ごす。そして、今は夕食の為に食堂にいる。相変わらず、サイファーの態度は変わらない。食事を黙々と食べ、気がつくといなくなってしまう。ラリーは、サイファーがいなくなった後に食堂を見渡して、ランディがいないことに気づいた。
「なぁトール、ランディの奴はどこに言ったんだ?」
前の席でスパゲッティを口いっぱいに頬張っていたトールが、口の中身もそのままに喋りだした。
「ふぁあ?あはほらいへもねんふぉ(さあ?朝から見てませんよ)」
「…食うか喋るかどっちかにしろ」
うなずくと、すぐにスパゲッティの処理にいそしみだしたトール。
そうか、どこかで撮影でもしてるのだろうか?
そう思いつつも、すごい勢いで食っているトールに自分の分が食われないうちに、口に運ぶ。


[ヴァレー空軍基地脇、森 19時55分]
"Forest, Side of Valais Air Base" 1955hrs. 05 May 1995


森の外に向かっているときから変な気がしていた。何ですぐに出られないんだ、たったこれだけの森に、と。まあ、ちょっと奥に入り込んだから、時間がかかっているのだろうと思ってたんだ。俺は別に、方向音痴って訳じゃないんだ。だけど、1時間が掛かっても出られないときに悟った。ああ、俺は迷ったんだな、と。俺は耳を澄まし、周りの森を観察して出口を探した。風の音も頼りにしてだ。だけど、結局森の外に出ることはできなかった。俺の方向感覚は狂って無かったはずなのに。
「一体いつになったら出られるんだーー!!」
ヴァレーの森にこだまする、とある記者の叫び。結局、彼が森を脱出したのは、空が明るくなる頃だった。その頃には、既に彼は衰弱でふらふらになっていた。何の為に森に入ったのかも忘れるほどに。

森に響く、悲しい言葉。包み込んだ、暗い過去。それは、翼を手にする者の定めなのか。


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